午後休をとって、国立新美術館にやってきました。高校3年間担任だった山田先生が、独立展に出展されて会場にいらっしゃると聞いたからです。
IMG_9545.jpeg 3.03 MB独立展、表現技法に括りはないのですが、油彩が圧倒的に多かったです。
山田先生は油絵画家。30年前、絵だけでは家族を養うのが難しいので教師をしていました。

私が通ったのは、埼玉県で初めて出来た美術科。公立高校ですが、バブル全盛期に埼玉県が芸術教育に力を注いで創りました。前年に先行して普通科もできましたが、美術科、音楽科、(後に書道科も)は1期生です。(普通科は同期は2期生)

びっくりするぐらい充実した設備で、後に通った美術予備校、そして東京藝大よりも、この当時は恵まれていました。

学校サイトにあった写真をお借りしました。
IMG_9557.jpeg 82.21 KBIMG_9558.jpeg 43.61 KB写真AとBの、デッサン室と絵画室は2階に隣合ってありました。採光のため、北側全面がガラス窓で、2階から4階までの3階分が吹き抜け。同じフロアHの多目的スペースを見るとどれだけ天井高いかわかります。
こちらは、窓は南向きですがサモトラケのニケ像が設置され、今はデッサンにも使われているようです。

山田先生はBの絵画室にいつもいました。職員室にいるより、ここにいた。だいたい200号ぐらいの絵を、スモッグ着て描いている。
大らかな先生で、校則違反している生徒に説教する暇があったら絵を描いてる。
楽しい高校時代でした。私は10歳の時に父を亡くしてから、コミュニケーションに問題を抱えてしまい、多分軽度の鬱状態だったのだと思います。小学校を2回転校し、人との距離感がうまく取れず、校則の厳しい中学校で心を開くという事がうまく出来ず…

そんな中、絵の上手い子とだけは、仲良くなる事ができました。言葉を使わずに表現出来ることに憧れたのです。
当時、美術高校は私学にしか存在せず、学費はとても高い上に、吉祥寺や目黒など通うのも大変な場所にしかなく…
母に負担をかけずに、どうにかして、美術を学ぶ方法はないのか?
中3になり困り果て、唯一仲の良かった美術教師に相談したところ、「そういえば、来年新設される美術科高校があるから見学に行ってみない?」と紹介されました。この時はまだ設備はあまりなく、校舎が完成したばかりでした。
でも吹き抜けのデッサン質で、「北向きの窓は一日の光が安定しているから、絵を描くアトリエに最適なんです」と説明を受けた時、「ああここで絵を描いてみたい」と思ったのです。

なんとか潜り込み、ここでデッサンを初めて本格的に学びました。木炭で石膏像を描き、食パンの柔らかいところで消しました。描いてる時にお腹がすくとこっそり食べるんです。テレピン油で絵の具を溶く油絵。膠を煮て、顔料を摺鉢であたり混ぜて描く日本画。ポスターカラーで平面構成、マンセルカラーチャートを自作し、ヨハネス・イッテンの色彩概論を学ぶ。
週の15時間が美術の時間。先生は藝大出身者ばかりでした。山田先生が企画してくれて、夏休みにクラス全員で戸隠にスケッチ旅行にも行きました。
クラスメイトは埼玉県中から集まった、創造する事が好きな子供たち48名。

同級生はみんな優しくて、クリエイティビティに溢れていました。1クラスしかないので、クラス替えはなく、担任はずっと山田先生。
今思うと本当にもったいないのだけど、当時の私はまだまだコミュ障を引き摺っていて、自分がやりたい事がよくわからず、表現に向きあうのが難しかった。面倒臭い子どもだったと思います。
でも、それでも、向き合わざるを得ない環境に自分を放り込み、スタートを切れた事は本当に良かった。

山田先生とは随分お会いしておらず、高校同級生のfacebook投稿でお元気そうだと知り、先生に会う機会を探していました。でも連絡先がわからない…

インターネットありがとう。「画家、山田修市」でGoogle先生に聞いたら、先生のサイトが出てきました。


これによると山田先生は、1973年から毎年独立展に出展されています。今は新潟にお住まい。サイトのお問い合わせから連絡してみたら、「独立展のために上京するから、会場に来てください」と招待状を郵送してくださいました。

30年も会ってないから、わかるかしら?とドキドキして向かったのですが、入口でどなたかとお話ししている声ですぐにわかりました。声は変わらないんですね。
というか、外見も先生はあんまり変わっていない。
IMG_9549.jpeg 4.66 MB私の母と同じ年だと記憶していたので、先生は76歳です。この絵は200号…そうか!先生がいつも放課後描いていたのは、独立展に出す作品だったんだ。
IMG_9550.jpeg 771.92 KBとてもお元気そうで嬉しい。

IMG_9547.jpeg 5.35 MB先生は昔から不思議な絵を描いていました。これはなんだろう?みなさま、わかりますか?
何か光が反射しているのかな?
「これはね、蓮の花が枯れた後の池なんだよ」
ああ、やっぱり水に光が反射していた。

IMG_9551.jpeg 1021.61 KB
ここで初めてタイトルを拝見。『晩夏光』とありました。夏の終わりに立ち枯れた蓮。その根元には命の強さが垣間見える。

作品左下には空が映っています。
IMG_9547.jpeg 1.55 MBピンク色の光は夕焼け。

正面からは見えないけど
キャンバスの周囲に蛍光黄色を塗り込めて
それが木枠との白い隙間に反射して、不思議な光を発して見えます。

IMG_9552.jpeg 5.23 MBIMG_9553.jpeg 3.93 MB


IMG_9546.jpeg 5.26 MBこれは引いて見たところ。うっすら黄色く光ってるでしょ?
不思議な絵でした。

以前の先生は、人物がデフォルメされた
IMG_9562.jpeg 1.36 MBこんな感じの絵をよく描かれてたのですが。
サイトにはIMG_9561.jpeg 1.16 MB色々なタイプの絵があって、ああコレって決めなくてもいいんだな。

先生に「テーマってどうやって決めているんですか?」と尋ねたら
「自分の身近なもので、ふと気になったものをとにかく描いてみるといいんだよ」と言われました。
60年近く描き続け、独立展も50回を越える先生の言葉。染み入りました。

先生と2時間近く会場を一緒に回ったのですが。出会う方みなさんご挨拶されるのです。
お知り合いが多いのかしら?
よくよく聞くと、先生は独立展の審査員でした。そりゃ挨拶するわw
そういえば、私が高校を卒業した1年後、日本で一番権威ある油絵の賞をもらい、文化庁の研修員として1年間家族でフランス🇫🇷に滞在されていた事もありました。
帰国されてからは、沖縄県芸の創設、東北芸術工科大学教授、京都芸大の客員教授もされていたようです。
先生の教え子は、いったいどれほどいるのかしら。

「私も最近、絵を再開しました」と、少し前に描いた絵で作成したクリアファイルを、先生に渡しました。
スクリーンショット 2024-10-17 22.47.15.png 7.52 MB「プラネタリウムで開催した朗読会で美術を担当して、これと数点他に描いた絵を上映しました」
「じゃあ、デザインの仕事以外にも色々やれてるんだね」
「はい、これからもっと描こうと思ってます」
先生は嬉しそうにニコニコしていました。

独立展出品者100名以上の立食パーティー懇親会が、上野精養軒であるというので、その時間に合わせて乃木坂まで一緒に歩きました。なんだかぞろぞろご夫人方も。

思えば高校3年間、先生に、実にたくさんのアートな場に連れていかれたなあ。
なんだか昨日のことのように思い出して、
「私が何とか高校を卒業できたのは、山田先生のおかげです。ありがとうございました」と伝えると
「いやいや、何をおっしゃるの、僕は何にもしていませんよ」とお顔の前で手をぶんぶん振って笑っていました。