中之条ビエンナーレに行ってきました。
主な目的は3つ
①Good Eldersで出逢った@トシ さんがプロデュースしている
全盲の彫刻家、三輪途道(みわ・みちよ)さんの感性に触れること
②西嶋雄志さんの世界観を体験すること
③対話型鑑賞のワークショップに参加すること
三輪さん、西嶋さん共、藝大の先輩になります。
西嶋さんはサッカー部のOBで学生時代から存じ上げていましたが、先日POLAでの展示が素晴らしく
今回は中之条の築300年近い古民家での制作展示ということで、どんな世界なのかとても興味が湧きました。
そのタイミングでトシさんとたまたま出逢い、三輪さんのプロジェクト『メノキ』をディレクションされており
中之条ビエンナーレで発表されるというので
思い切って一人旅で向かったのです。
対話型鑑賞のワークショップは、2つの作品を9人の参加者で鑑賞して対話したのですが
2つ目が三輪さんの壁面作品でした。
受け取った情報量が膨大なので、3回に分けて投稿します。
三輪途道さんについて
精巧な木彫作品を作られていた三輪さんは、30過ぎから目の難病に罹り
徐々に視力を失いました。
三輪さんは彫刻家として仏像や身近な人や動物の肖像彫刻まで、多くの作品を手がけてきた。写真は東大寺俊乗堂の北で重源像模刻する三輪さん(当時26歳) 撮影:大平武男
谷川俊太郎さんとの書簡から生まれた
『詩画集
かべとじめん』
この展示をじっくりと観る
彫刻家は見えないけれどみている
指先を目の代わりに
捕らえている感覚
足音
触感
最初、私は目で作品を観ていて、作品の意図がよくわからなかった
猫と人の足先だけがレリーフ彫刻された壁面
見た目はよく似ているのに
ひとつは「みえる足元」というタイトルで水色
ひとつは「みえない足元」でピンク
どうして2つは違うタイトルなんだろう?
三輪さんになったつもりで
考える
最初に観た時はトシさんと2人で
「どれが気になる?」とか普通に目で観て対話して
表面でしかみられなかった。
翌日、対話型鑑賞のワークショップで参加者9人の気づきを聴きながら
視てみた。
三輪さんはどうしてスリッパや上履きを壁面で作るんだろう?
三輪さんの作品「上履きとじめん」
猫のしっぽが通り過ぎる、頭や背中はあるのに足はない
突然、はっとした。
そうか、目で観てないから
音がしたもの
手でよく触っているもの
それを立体で表現してるんだ!
三輪さんの感じてる世界がなだれ込んでくる
音がするもの以外は、視えてないんだ
色は色のようで色じゃない
エネルギーを表してるんじゃないかな?
対話型ワーク参加者の1人が
「すごく自由に感じました」と言う
指と耳が目の代わりとなって
受けとめている世界
見えている人を「晴眼者」と言うのを最近知った
視覚から受ける情報量は膨大すぎて
時に視覚以外の情報を遮断してしまいがちなのだ。
けれど晴眼者の私は、普段そのことに気づいていない
みえているのに、見えていないものがあるんだ
気づいたのは静かな世界。
「見えない」というのは、とても静かな世界なのだ。そして、色ではなくエネルギーで感じている。
谷川俊太郎さんとの書簡から生まれた
詩画集
『かべとじめん』
詩 谷川俊太郎
画 三輪途道
かべがかなしみを ふせいでくれる
このかべのむこうで おおぜいがさけんでいる
かべはきく ちかのとどろき
じめんもかべも ときのこども
かべにひそむのは いのちの おんど
みえるよろこび みえないさびしさ
みえないよろこび みえるかなしさ
かたちはいまも うごきをゆめみる
かべには うそがある じめんには ほんとだけ
なんとなくうまれたかべの ふくみわらい
じめんはほしのもの かべはひとのもの
かべのふるさとも このほし
かべはみのらない かべはさかない
いろがみな しろからにじんでくるわけではない
かべをこえて おぼろげな じめんのおわりへ
ひとりぼっちのかべを じめんはささえる
このかべのむこうに ちへいせんがある
こえに出して読んでみる
記憶の引き出しから、三輪さんのレリーフから受けとめた世界と
谷川さんのことばが混じり合って
透き通るようなせつなさと
自分が生きる世界をどう捉えていくか
五感を拓くことについて想いを馳せる
これは直接体験されるのがオススメです。
三輪さんが脱乾漆技法で作った作品
手で触って感じることができます。